SPECIAL INTERVIEW特集記事

#08

「フィリピンで一番有名な日本人」
Fumiyaが掴んだ
フィリピンドリームの軌跡。

INTRODUCTION

“フィリピンで一番有名な日本人”と言われ、「Newsweek日本版『世界が尊敬する日本人100人』」に選ばれたソーシャルメディアクリエイターのFumiyaさん。 フィリピンでは俳優・歌手・司会など芸能活動の他にもアパレルブランド「BRIGE」もプロデュースしてマルチに活動していますが、今回はフィリピンやセブ島との出会い、これからの展望についてじっくりお話を聞かせて頂きました!

Fumiya

1995年生まれ 静岡県出身
専門学校卒業後、東京帝国ホテルにてベルボーイとして勤務。その後、2017年にフィリピンに語学留学し、同時に開始したYouTube活動をきっかけにフィリピンのタレント業界へ進出する。 現在では、「フィリピンで一番有名な日本人」と言われ、俳優、歌手、タレント、Youtuberなど幅広い活動を行っている。SNSの総フォロワー数は500万人以上を誇る。

ある女性経営者との出会いが世界を意識するきっかけに。

セブヨロ編集部:まずはじめに、Fumiyaさんは静岡県浜松市出身とのことですが、なぜ“フィリピンで一番有名な日本人”と呼ばれるに至ったか、これまでの生い立ちやフィリピンとの接点は何だったんですか?

Fumiyaさん僕が育った浜松ってSUZUKIやHONDAの工場があって、そこで働くフィリピン人の方が沢山いるので、おそらく日本でもトップレベルでフィリピンの方が多く住んでいる地域なんですね。だから今考えると子供の頃からフィリピンの方との接点はあったんですけど、、、僕は昔から”社長”や”起業家”になりたいという想いがあったんですよね。僕の実家はお爺ちゃんの代からスーパーを経営していて父親が二代目だったんですけど高校2年生の頃にそのスーパーが潰れてしまったんです。その時に父親が言った「人脈があるからなんとでもなるよ!」という言葉が今も心に残っていて。”人脈があれば起業ができるんだ!”と思って、まずは人脈を作ろうと動き始めたんです。まずは浜松のアップグレードバージョンはなんだろうと考えて東京。そしてスーパー、接客業のアップグレードバージョンはホテルって考えて、僕は日本で一番の街”東京”のナンバーワンホテルで働けばもっとすごい人脈ができると思ったんですよね。今思うと浅はかな考えなんですけど(笑)、すごい人脈ができる=スゴイ起業家になれると思っちゃったんです。その流れから東京のホテルの専門学校に通うことになり卒業して、まずは東京の帝国ホテルに就職したんです!

セブヨロ編集部:ある意味、若さゆえの単純な考えからその後に本当に有名なホテルに就職する事になったんですね。それはそれでスゴイ(笑)!

Fumiyaさんはい(笑)。帝国ホテルではベルマンという部署に配属されて、仕事をしながら色んなお客様を接客して会話する機会があるので、お客様で経営者の方がいると「いつか起業したいんです!」って熱い想いを伝えてみたりして(笑)。そんな時に、ある女性経営者の方と出会って自分の想いを伝えた時に「あなた、起業したいって口で言うのは簡単だけど、まずは数字を入れなさい」って言われて。。。それはどういう意味かと言うと、例えば20XX年の○月○日にNYの自分の会社の下にあるスターバックスでコーヒーを飲みながら自分の会社のミーティングをしていて、その時に自分の会社のスタッフは○人いて○○について会議しているみたいな、未来の自分の姿に具体的な数字を入れた目標を作るんですね。そうすれば5年後に何をする、3年後に何をするっていう風に逆算していけば、今現在の自分が何を考えて行動すればいいのかがおのずと見えてくるっていう事なんですよね。21歳の時にその言葉を言われてすごく衝撃を受けたんです!そしてその方は2020年に世界で活躍しているという目標を立てていたので、それを聞いた僕も「世界!カッコいい!」って思っちゃって。急に自分も世界に行く為にはどうすれば良いかって考え始めるようになったんです。

セブヨロ編集部:その方との出会いから急に世界を意識し始めたんですね!

Fumiyaさんそうなんです!その後もホテルでの仕事は続けていたんですけど、ロビーで見かける外国人観光客の人たちが日本語の漢字のTシャツを着ているのが気になり始めて、ある時「なんで漢字のTシャツを着ているの?」って聞いてみたら「漢字のデザインがカッコいいからだ!」って言われたんですよね。ただ、やはり漢字の意味までは知らないようだったので、もしこれでちゃんと意味が通じるカッコいいデザインだったら最高だなぁと思い始めて、いつしか”僕は2020年に世界でアパレルブランドを立ち上げよう”って目標ができたんですよね。

セブヨロ編集部:アパレルブランド!?ここで一つの夢ができたんだ!

Fumiyaさんやはり世界で通用するアパレルを作る為にはまず英語が必要だ!って思い、急いで留学エージェントの会社に飛び込んだんです!そこでカナダやアメリカの留学を色々調べてみたら留学費用が高額な事を知ったんですね。そうしたらエージェントの方からセブ島はどうですかってオススメされたんです!

1本の動画をきっかけにフィリピンでYoutuberになることを決意。

セブヨロ編集部:お!ここでようやくセブ島と繋がった(笑)!

Fumiyaさんはい!ただ、セブ島を調べていたら日本人が多くいるって書かれてあったんですけど、その時の僕はなるべく日本人がいない国に行きたいという考えだったのでセブ島より治安の悪そうなマニラの方が日本人が少ないんじゃないかって勘違いしちゃったんですよ(笑)。そしてマニラに行く為にはどうしたら良いだろうと考え始めて、ホテルの同期にフィリピンハーフのフロントスタッフがいるのを思い出して彼女に「マニラに行きたいんだけどどうしたらいい?」って伝えに行ったんです!そしたら「マニラに知り合いのおじさんがいるよ」って言われて、早速その人のFacebookを教えてもらって「フィリピンに行きたいんだけど泊めてください」ってメッセージを送ってみたんです。

セブヨロ編集部:行動力が半端ないですね(笑)。

Fumiyaさん驚いたのが、そのおじさんから返ってきた返信内容が「いいよ!」って、ものすごく軽い返事だったんです(笑)。
そこから半年ぐらいでお金を貯めて、結局エージェントを使わずにマニラに向かうんですけど、そのおじさんの家に居候させてもらったのがフィリピンとの最初の出会いですね。

セブヨロ編集部:そんなとんとん拍子に話が決まっていったんですね(驚)!

Fumiyaさん起業したい!→女性経営者に出会う→世界って聞いて世界を意識し始める→英語が必要→フィリピンに行けば英語を勉強できる→マニラ行く、みたいな感じでどんどん流れが決まっていった感じなんですよね。

セブヨロ編集部:そこからマニラで語学留学を始めたの?

FumiyaさんマニラにLPUって大学があって、そこの大学にイングリッシュチュートリアルという語学留学体験版みたいなのがあったので、まずはそこに通い始めたんです。でも、最初マニラに行くって友人達に話したら、マニラは危ないから気をつけろってみんなから言われて(笑)。なのでマニラでの僕の生活や生存確認も含めて、友人や両親に現状を伝える為に英語を勉強しながらYouTubeで動画をアップしようって考えたんです!
YouTubeでは現地のリアルな生活をアップし始めたんですけど、ある時「バロットを食べてみた!」って動画を撮影してアップしたら、日本の人たちではなくて、フィリピンの人たちからバズり始めて。気づいたらFacebookで無断転載されて1000万回ぐらい再生されてたんですよ(驚)。その当時(4年前)の1000万回の再生数ってものすごい数字で、気になってフィリピンを調べ始めたら人口も日本と変わらず平均年齢も若い、しかもスマホ所有率も高い事がわかって「この国ってすげービジネスチャンスがあるじゃん!」って気づいたんですよね。しかもフィリピンのYouTuberを調べたら、日本で言うHIKAKINさんみたいな有名な人がいない事がわかって、この国で日本人としてYouTuber界に入り込んだら、何かチャンスがあるんじゃないかって考えて。その時に、この先アパレルを立ち上げるにしても英語を勉強するより影響力を持つ方が夢はなんでも叶うんじゃないかって思ったんですよね(笑)。そして次の日に大学のイングリッシュチュートリアルに「明日からもう来ない」って伝えて辞めて、この国でYouTuberになる事を決めたんです!それからは、毎日とにかく現地のリアルな生活を沢山撮って編集して、フィリピン人向けに切り替えた動画をアップし始めたんですよね

セブヨロ編集部:まずはYouTuberとしてフィリピンで有名になったんですね!フィリピンで知らない人から声かけられたりもしてたの?

Fumiyaさん少しずつクチコミで広がって、まだその時は自分の住んでいる地域の、町の有名人ぐらいの感じでしたね。それからは動画をアップし続けながら、たまに現地のイベント会場を使ってイベントを開催したりしてましたね。

セブヨロ編集部:タレント的な活動もそのあたりからスタートしたんですね。

Fumiyaさんいや、でもその頃は全部自分で会場を押さえたり、自力で設営の準備をしたりしながら地道に活動してましたね。ただ、その頃にセブ島にもファンの方がいるって知ったので、どうにかしてセブ島に行けないかを考えて色んな人に「セブ島に行きたい!」って声をかけてたんですよ。そうしたらセブパシフィック航空の方に繋がって「アイムフィリピンフェイマスユーチューバー!」みたいな訳のわからない英語で熱い想いを伝えたら「よくわからないけどアナタ面白いからいいよ。セブ島に来なさい」ってなって(笑)。飛行機のチケットやホテルを用意してくれてセブ島でイベントを開催できるようになったんです!

フィリピンドリームの始まりは衝撃的な展開だった。

セブヨロ編集部:毎回驚かされるけど、熱い想いと行動力、そして良きタイミングで良い人と出会ってますよね(笑)。

Fumiyaさんただ、セブ島では現地に着いたはいいけどイベントで一体何をしたらいいかまで考えてなかったんですよ(笑)。とりあえず現地の会場で自分で椅子を並べたり会場設営をして、、、開演時間まで裏に隠れて待ってたんですけど、始まる時間になってステージに出たら驚いた事に既に200人ぐらいお客さんが集まってくれてたんですよ!

セブヨロ編集部:初のセブ島で200人!?それはスゴイですね!

Fumiyaさんそれがセブ島の思い出のひとつですね。しかもセブ島で奇跡みたいな事が起きたんですけど、イベントやってた会場の隣で世界中から10万人ぐらいの人が応募してくる「Pinoy Big Brother(ピノイビッグブラザー)」っていうTV番組のオーディションが開催されてたんですよ。その番組オーディションってセブ島に来る三ヶ月前ぐらいにマニラで開催されてたので僕も受けてたんですけど、たまたまオーディションの人から電話があって「セブ島にいるんだったら、ここでもオーディションに出なよ」って言われて急に行くことになりまして。その時に会場にいったらなぜかいきなりカメラで密着されたりして、既にオーディションに受かってるみたいな雰囲気になってたんです!

セブヨロ編集部:カメラで密着!それは確かに受かっててもおかしくない感じですね!

Fumiyaさんでもこのオーディション後に実は半年間ぐらい日本に帰国してるんです。その時の日本での生活が一番極貧で大変だったんですけど、、、。アルバイトもせずにYouTuberとして広告収入だけで生活してやる!みたいな自分で自分を追い詰める毎日で。そんなキツイ時期に突然フィリピンの番組スタッフから日本に電話がかかってきて「一週間後にフィリピンに来なさい」って言われたんです(笑)。もちろん急だから「えー!」ってなったんですけど「もう断れない」って言うし、2019年の元日にまたフィリピンに戻ったんですよね。

セブヨロ編集部:やっぱり受かってたんだ!10万人の応募者から選ばれるってフィリピンドリームですね!

Fumiyaさんいや、そうなんですけど、、、空港に着いたらスタッフの方が待ってくれていて「ウェルカム!」って感じだったんですけど、車に乗り込んだら携帯や財布とかパソコンとか荷物を全部没収されちゃって(笑)。アイマスクとヘッドフォンを着けられて車で知らない場所まで連れていかれたんです!

セブヨロ編集部:まるで日本でいう「進め!電波少年(日本テレビ系列で放送されていた人気番組)」みたいな感じ(笑)。

Fumiyaさん最初、これは詐欺だ!って思って超怖かったんですけど、気づいたらどこかのホテルの一室に連れて行かれて。窓もないしTVも時計もない薄暗い部屋で、ベッドしかないんですけど、説明もされないしドアも開かなくて待ってたら超マッチョな怖そうな男の人が弁当を届けてくれて(汗)。「What’s Happening?」って聞いても「シーッ!」とかいって静かにさせられて。毎回フィリピン料理のお弁当を届けてくれるんですけど、もうこれが朝ごはんなのか夜ご飯なのかも分からなくなっちゃって(笑)。

セブヨロ編集部:窓も全部閉められてるから時間の感覚が分からなくなったんですね(笑)。

Fumiyaさん日付も時間も分からないまま、とにかくその部屋で過ごしてたんですけど、あとでわかったのが結局五日間ぐらいはその部屋にいたんです。五日間も陽の光も当たらずに何もない部屋にいて精神的にも参ってた時に、いきなり知らないおばちゃんが登場して分厚い契約書を見せられたんです。でも僕は英語がわからないから、とにかく通訳の人を呼んでくれってお願いして。そうしたらカタコトの日本語を話す通訳の男の人がやってきて「フミヤ、この契約書はリアリティーショウの契約書だ。これから刺激的な事がたくさん起こるけど、決して訴えたりしないって書いてある。」って言われて。「そんなの契約したくないよ」って伝えたら「サインしないと部屋から出られない」とか言うし(笑)。もう仕方ないやと思ってサインしたら、急に部屋にいた人たちが笑顔になって「おめでとう!これからファミリーだ!」ってハグしてきたんですよ。そこからはもうバタバタで、いきなり部屋にヘアメイクやスタイリストが入ってきてメイクされて衣装に着替えさせられて、なぜかアイマスク着けて車イスに乗せられて運び出されたんです!何が起こってるのか全然わからないまま、肩を叩かれたらアイマスクを外せって言われてたので、肩を叩かれてアイマスクを取ったら、でっかいモニターがある場所にいて。その瞬間モニターが開き始めて、目の前にフィリピンの大観衆が待ち構えていたんです(笑)。

リアリティーショーをきっかけに一躍大スターへ

セブヨロ編集部:いきなりリアリティーショーの始まりだ(笑)!

Fumiyaさんそしたら現地の有名な司会者の人が立ってて「フミヤ!フロムジャパン!」って叫んだんですよ。その声で会場にいた大観衆が「キャー!」って叫び始めて、もう全く意味わからないって心の中で思ってたんですけど(笑)。司会者が「意気込みどうぞ!」って聞いてきてマイク渡されたから、よくわからない中で「I will do my best!」とか言ったら大観衆が「ウォー!」とかなっちゃって(爆笑)。そのまま、またアイマスクとヘッドフォン着けられて車で運ばれて、ある一軒家の前に立たされてアイマスクとか外されたんです。そこからいきなり男女4:4の8人が共同生活するTV番組「Pinoy Big Brother(ピノイビッグブラザー)」がスタートしました(笑)。

セブヨロ編集部:日本でいうテラスハウス(フジTV系列で放送されていた人気番組)みたいな感じですね。

Fumiyaさんそうですね。その番組がフィリピンでは高視聴率を叩き出す国民的番組と呼ばれていて。毎日、夕方と夜に2エピソード放送されるんです。家の中に360度カメラが付いていて死角が全くなくて、それこそトイレやシャワーにも全てカメラが付いていて音声も24時間録音されてずーっと監視されている状態。TVも時計もパソコンも携帯もない共同生活の中でポイントを稼いで勝ち残っていくサバイバルみたいな番組で。しかも僕はその家に四ヶ月も生活してたんですよ(笑)。だからその番組が終わって外に出たら日本が令和になってたんです(爆笑)!しかも外に出たら急にファンの人たちが「キャー!」みたいな感じで。よくわからない内にフィリピンでみんなに知られている状況になっていて全く理解ができなかったですね。

セブヨロ編集部:徐々にというより、家の外に出たら急に人気者になってたみたいな感じなんですね。

FumiyaさんYouTubeも番組スタート前は30万人ぐらいだったのが、番組出演後に家の外に出て調べてみたら130万人ぐらいに増えていて。番組放送中は一度も動画をアップできてなかったのに、2019年上半期のYouTubeチャンネル登録増加率が日本で米津玄師さんに続いて二位になっていて(汗)。僕自身有名になっている感覚がないので番組が終わって一区切りついた時に、スタッフの方に日本に帰りますって伝えたんですけど「ダメだ!ダメだ!」って言われて気づいたらレギュラー番組四本と映画に写真集にコンサートが決まっていて。しかもコンサートなんて香港、台湾、シンガポールまで決められていて(笑)。「5年はスケジュール埋まってるよ」って言われて焦りましたね。

セブヨロ編集部:5年も休みなし!?それは大変だ、、、。

Fumiyaさん歌なんて人前で唄った事もないし、演技経験もない自分がドラマに出演したりして。タガログ語も話せないのに、その場で台本読んで覚えたり。

セブヨロ編集部:夢が叶って幸せなような、考え方によっては地獄のような(笑)。そういえばフィリピンのファンの人たちって、日本と何か違ったりします?

Fumiyaさんとにかく情熱的でプレゼントの量が尋常じゃないですね。イベントに1台のバンで向かっても、帰りはプレゼントを載せて帰るので3台になって帰るんですよ。だから家が開けてないプレゼントだらけになっちゃって(笑)。高額なもので言うと最新のMacbookとか新しいiPhoneとかGoProとか。エスカレートして一番ヤバかったのが車と家(笑)。なのでさすがにFacebookで「もうプレゼントは要りません。僕にプレゼントするならストリートチルドレンにご飯を食べさせてあげて。」って書いてお願いしたり。とにかく愛を伝えたいっていう情熱的な人が多いですね。一度、ショッピングモールに変装して買い物に行ったら200人ぐらいに囲まれて。フィリピンではセキュリテイの人にお願いしてボディーガードを付けてましたね。

セブヨロ編集部:ボディーガードを付ける生活って大変そうですね、、、。

Fumiyaさんだから日本に帰国した時にすごい落ち着きましたね。「あ~自由だぁ!」って。

セブヨロ編集部:そんな状況のなか、両親や友達の反応はどうだったんですか?

Fumiyaさん最初はやっぱり理解できてなかったですけど、今年に入って日テレ系の「マツコ会議」に出演させてもらったり、浜松の観光大使になったり日本での活動が見えてきて、やっと理解してくれたって感じですね。浜松も田舎なんで純粋にTVに出演したりすると親は喜んでくれますね。

日本とフィリピンのエンターテインメントを繋ぐ架け橋に。

セブヨロ編集部:今後の活動はどういう風な感じなんですか?やりたい事とかあったりします?

Fumiyaさんこれからはフィリピンでの経験を生かして、日本とフィリピンのエンターテインメントを繋げたいと思ってるんです!日本でロケして日本の役者さんが演じるんだけど、フィリピンの脚本家や演出家チームを使ったフィリピン人向けに制作したドラマを制作したいなとか。そのドラマをまず自分たちのSNSで観てもらって、話題が作れたらフィリピンで放送したり逆輸入のような形で日本の方にも観てもらったり。そうすればフィリピン人の脚本家の面白さが伝わったりすると思うんですよね。それと同時に、やっぱり日本の歌手や役者さんの素晴らしい才能が世界に飛び出していった方が面白いと思うんです。その一つの架け橋になれれば良いかな~と考えています。

セブヨロ編集部:それはかなり楽しみですね!Fumiyaさんが表舞台に立ちながらプロデューサー的な役割も担って日本人をバズらせていくみたいな。CEBUYOLOとしても日本の演劇や音楽など日本とフィリピンのエンターテインメントを繋げていく活動をこれからもしていきたいんですよね。

Fumiyaさんマジすか!それが一緒にできたら最高ですね!

セブヨロ編集部:是非是非一緒に盛り上げていきましょう!そういえばFumiyaさんのフィリピンおすすめスポットってあります?

Fumiyaさん僕はやっぱりマニラにいる事が多かったので「BGC(フォート・ボニファシオ・グローバル・シティ)のハイストリート」ですかね。
みんなの想像するフィリピンとは違ってシンガポールみたいな景色なんですけど、きっと日本人は好きだろうな~って思います。色んなポップアップで面白い食材が売ってたり、土曜日のサタデーマーケットっていう朝だけやってる高級な屋台だったり。僕は大好きでよく行ってましたね。

セブヨロ編集部:コロナ禍を経てこれからのフィリピンに期待する事はありますか

Fumiyaさんやはりこれから大統領選もあるので、その結果次第で随分と状況が変わる気はしていますね。

セブヨロ編集部:Fumiyaさんの体当たりな経験は今の若者にとても勇気を与えてくれると思いますけど、これから夢を追いかけていく人に思う事はあったりしますか?

Fumiyaさん日本人って”俺はできない”とか”あの人だからできる”とか応援する立場を選ぶ人が多い気がするんですよね。だからまずは、なんでもいいからやってみれば?って思ったりしますね。知識ばかり身につけても臆病になるだけだと思うので、考えるよりはまず行動する事が大事な気がしています。小さな事でもいいからコツコツ行動して積み重なれば大きな事に繋がると思うし。「考える前にまず行動!」これが大切な気がします

セブヨロ編集部:そうですね。きっとその積み重ねた結果が今のFumiyaさんの状況になってると思いますし、今回色んなお話を聞かせて頂いてとても説得力があると思います。

Fumiyaさん今でも「こういう事やりたい!」って行動したり口に出してよく言うんですけど、周りからは「Fumiyaくんだからそういう事が言えるんだよ」って言われたりして。でも結局は立場とか関係なく「あなたでもやればできる!行動すれば未来は変わるんだよ!」って事を、もっと若い人たちには伝えていきたいですね。

セブヨロ編集部:ほんとそうですね!今回はとても良いお話をありがとうございました!

Fumiyaさんありがとうございました!

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